風の果て

恋をしただけ それだけのことを

幸せになりたい

接触に病んだりガチ恋拗らせたりチケットがご用意されなかったり推しが炎上したりしたオタクのお気持ちブログみたいなタイトルですが、そういう話ではない。

キャガプシーの初演をブルレイで見ました。という話。ウナサレの「幸せになりたい」が好きだよという話をだらだらするだけの記事です。
(このブルレイ、夜のテントという悪条件とは思えない高画質・高音質でお値段4000円だった。びびった)



観劇感想文にも書いたのだけど、ウナサレの「恐れ多くもぼくは思う。幸せになりたーい!」が大好きで。

あの、高いところから全身全霊で放たれる言葉と、雷に打たれたかのようなトラワレの表情が記憶に焼き付いている。ウナサレという役、初演が末原さんだったというのは見なくてもわかるくらい納得しかなくて(笑)。めちゃくちゃ似合ってただろうなぁと思うと同時に、そのどう考えてもめちゃくちゃ似合う人から引き継いでこんな素敵なウナサレを生み出した倫平さん凄いなぁ、なんて考えながら見ていた。無邪気で可愛くて、時にちょっと鬱陶しくて(笑)、それでいて誰よりも物事の核の部分を知っていそうな、特異点的キャガプシー。
先頭に立って、みんなを明るい方へ導てくれるような印象だった。あの「幸せになりたい」はウナサレ自身の思いであるとともに、みんなが言いたくて言えなくてしまいこんでいた気持ちの代弁。なんか、聞いてるこっちの、しまいこんでた夢とか願望とかそういうものまで引きずり出される気がして、やたらと刺さってしまった。


で、そのあと初演を観たんですよ。全然違った、あのシーン。

そもそもトラワレとウナサレの関係性自体が全然違うし、しかも初演があんまりにも仕上がりがいいというか、藤井さんと末原さんに超ハマっていて。これを1回崩して別キャストで再演したのすげーなと、改めて感心してしまった。そのくらい良かった、初演の二人(言うまでもないけど、再演の二人もめちゃくちゃ好きよ)。
再演は割と歳の近い兄弟というか。トラワレが未完成で脆くて感情的なのもあって、持ちつもたれつ、一緒に外の世界に走っていくような、そんなイメージで。ネズミパパとツミちゃんママ含めて、家族みたいな。対して初演は、トラワレがちゃんと10年分情緒の育ってる落ち着いた大人で、ウナサレがガチで3歳児というか、言葉を選ばす言うと白痴美人というか、もう生まれたまんまのまっさらな子ども!!って感じなので、兄弟通り越して育児に見えるシーンがちょいちょいある(笑)ちょっと世界線が歪んだら、大人3人の奇妙な共同生活の中に、突然子どもが投入されて、慣れない育児に大奮闘!みたいなハートフルホームコメディになったかもしれない(ならない)。あとウナサレすげぇ美人。びっくりするくらい美人。これは間違いなくツミちゃんの最高傑作。


…話がずれた。
「幸せになりたい」の話ね。

初演のウナサレは、トラワレとの会話の中でぽつりと、「幸せになりたい」という。トラワレはすっとそれを否定する。「なれるもん!!」「なれたい、なれると信じたい」って叫ぶウナサレは本当にダダこねる子供みたいで。実現性の有無とか関係なく、信じていたら願いはきっと叶うんだって、ただまっすぐに信じているような。そういう切実な「願い」だった。再演ウナサレが能動的に周りを変えてくれる子だとしたら、初演は周りにいる人を自然に変えてしまう力のある子かな。
こんなシンプルなセリフが、こんなに人の心に刺さることってあるんだなぁ。同じセリフだけど、全然違うウナサレにそれぞれぴったり合う「幸せになりたい」で、どっちも大好き。


だらだら語ったついでにもう少し書くと、実際観劇したときに聞いて、一番凄いなぁって思った台詞が、この次。

「愛し合うことで世界を変えたい。ぼくたちが想いあうことで、世界はちょっと変わる」

こんな、一歩間違えたら超薄っぺらくなっちゃうような台詞を、なんであんなに響くように言えるんだろうね。観劇中、防御力無効化されたみたいに、しんどさも美しさも愛おしさも全部ダイレクトに飛んできてダイレクトに刺さってきて戸惑った。びっくりするくらい優しい気持ちになれる物語だった。


物語が世界を変えるかどうかはわからないけど、こんな物語を作ってしまえる人に世界は優しくあってほしいし、この物語に出会った人がみんなそう思ったら、たしかに世界はちょっと変わるのかもしれない。
なんて、ちょっとだけ思ったりした。