風の果て

恋をしただけ それだけのことを

「刀剣乱舞」悲伝 結いの目の不如帰 7/29大千秋楽ライビュ

色々…ほんとに色々ありましたが、無事終了おめでとうございました!おたくのみんなもお疲れ!

ゆるっとライビュのみ参加のわたしは初日ぶりだったんですが、ラストを知っていてかつ演者も仕上がった状態で改めて見る悲伝、超面白かった。こんなに舞台演劇ならではのループものを、チケット戦争なしに映画館の椅子と音響と売店のフードつきで提供してくださる2.5次元界隈、やさしさが過ぎてゆとりのおたくが増えてしまうわ…。

すえみつさんは最後の一文を削っただけで輪廻を止める人なので、明確に三日月を折るようなことをしなくても、何かしら、大きな意味を持つ小さな変更を入れてくるのではないかとぼんやり考えてはいたのだけど。結果、52公演(気持ちとしては54公演)を経て強くなったまんばちゃんは、ほんの少しだけ三日月に追いついた。だからといって結末は変わらず、三日月はこれまでと同じく刀解されるけど、「刀剣乱舞、はじめよう」で微笑んだまんばの顔と、カテコでひろきくんが言った「笑顔で終われてよかったです」で終われる悲伝はなんだかんだで優しい。(その先に無限ループが延々続いていたとしてもだ)

本当は千秋楽の感想は三日月と鵺の話をメインに書くぞ!と思ってたんだけど。いざ見て印象に残ったのはそれ以外の部分だったから、主役級の人たちの話は三日月班とまんば班にお任せして、残しておきたいことだけダラダラ書きます。

  • 悲伝出陣部隊の話

千穐楽を見て感心したのは、各キャラクターの役割の描き方の上手さで。これまで見守り役だった面々をメインに据えるために、過去作で問題児だった子たちが育っていたり、いてほしい人が絶妙にいなかったりする。虚伝で誰よりもぎゃんぎゃんしてた不動や長谷部が極になっているのも、歌仙ちゃんがお小夜いなくても歌仙ちゃんなりに気を使ったり周りをフォローしたり出来るようになってるのも。
三日月破壊のために出陣したとき、止めようとするまんばちゃんを跳ねのけるのは、本丸初期からずっと一緒にいて一時は本丸を率いていた長谷部にしかできないし、そこまで主命を貫くためには長谷部が極である必要があった。
例えば黒田が揃っていたら、まんばの隣で小夜が味方してくれていたら、たぶん最後のあの三日月VSまんばの状況までまんばを持っていくことができない。
鵺に対して「昔の俺だ」って寄り添えったのち、破壊できるのは、自分とちゃんと向き合った極不動くんにしかできなかった。(あの織田組の優しさと容赦なさがとても好き)
義伝で意外とスポットが当たりきらなかった光忠の心情を描くには、伽羅ちゃんや貞ちゃんがいてはいけなかった。
あとはパパ上というチートキャラの投入で、今回のこの本丸のこのメンツでの戦い方として、「わかる…わかる……」とうなずくしかできない流れだった。ちゃんとこれまでの物語があってこそたどり着いた悲伝なんだ。私基本的にすえみつ作品は心情的には刺さらないんですけど、こういうところの緻密さが見事でいつも惚れ惚れしてしまう。

そんな中で、特定の物語への執着を見せるでもなく、これといってこじらせたエピソードがあるわけでもない鶴丸が、義伝でめっちゃ身体張ってたり、ごく自然に足利への三日月追跡班に加わっていたり、黒甲冑と再び対峙したりと結構危険な目にあいながら本丸のために頑張ってる理由はなんなんだろうな…という点だけずっと考えている。(そのたびに脳内にゃーさんが「理由が必要かい?」って問いかけてくるけど、必要だよ!おたくだから!そこに理由を持たせるのがおたくの仕事だから!w)

  • 彼らにとっての三日月は、

虚ろであったか?義はなかったか?如何なるものだったか?
そこに続くのは、「お前にとっての三日月宗近に、心はなかったか。」なんだろうか。

悲伝を観た客の反応が凄く割れたように、三日月に対する疑念や様々な異常現象が続出する中で本丸の刀たちの反応も性格によって割れるのが面白い。
光忠なんかは凄くロジカルに物事を判断するじゃないですか。鵺と遭遇しているのにそれをみんなに話さないことに疑問を感じたり、自分を折ろうと思えば折れたのにそうしなかったことで三日月の本意じゃなかったことに気づいたり。あの最中でもどっか冷静で、その行動の裏の真意を探りながら真実に近づいていくタイプで、だからこそ毎回三日月に刃を向ける役割は光忠なんだろう。歌仙や長谷部もそのタイプ。

逆に直感で動くのが、三日月を追って足利に飛んだメンツで。覚えてなくても「ひとりにしたくない」って抱きしめてくれる骨喰も、なんの根拠もなく自分が見た三日月をまっすぐ信じる大包平も(千穐楽の2幕、将さん泣いちゃうんじゃないかってくらいの勢いで、中から色々漏れてて最高だった。もうこの先将さん以外の大包平を観れる気がしないw)、自分が感じたものをそのまま信じて動く。だから三日月がどんなに不穏な行動をとろうが彼らはぶれない。鶯丸やにゃーさんはフラットに全部見渡せるんだろうけど、その時信じようと決めた方向に根拠なく動くタイプかなって。もしかしたら、「長船」にスポットが当たる形で光忠ににゃーさんくっつけたらまた全然違う展開になったのかもしれない。この本丸のにゃーさんはばみのセコムなので、あんな感じだったけど(笑)
虚伝で完全にこっち側だった不動は、修行を経てもうワンステップ上にいった結果、鵺を破壊できる不動行光が仕上がったんだろうなぁ、とか。

鶴丸は…鶴丸はなんだろう。「あまり皆を悲しませるな」というパパ上と対照的に、真正面から「悲しい驚きも飲みこんでみせる」と言い放つの、ある意味結いの目である三日月宗近の全肯定じゃないですか。何をどこまで知っていたんだろう。(この「悲しい驚きも飲みこんでみせる」、バッ鶴にしか言えない台詞な気がして、大好きなんだよね。バッケスの鶴丸は切ない。)(染鶴はもっと奇想天外な物理解決策とか生み出しそうw)
やっぱ鶴丸スピンオフやってもらうまで死ねないなー。スピンオフのサブタイの「〇伝」の文字が発表された瞬間に、脳内パパ上に「鶴丸国永、おまえにとっての三日月は…」って言ってもらって死にたいから1作鶴丸メインでくれ(一生言う)。

それぞれが見た、それぞれが感じた元の主は、歴史は、刀として生きた時代は、そして三日月宗近はどのようであったのか。虚伝からずっと続くこのテーマに明確な答えはない。
刀ステが推理サスペンスだったら悲伝は謎説き解決篇だったけど、これはタイムリープSFなので、最後は受け手に託される。それぞれがそれぞれに答えを選び取って、未来につなげるための「集大成」。巻き込まれ型主人公だったまんばちゃんが自分の足で立って主人公の位置について、三日月と対峙することで、まんばちゃんがまんばちゃん(と三日月)の未来を変える物語。50回以上絶望の淵で三日月の刀解を見届けたまんばが、最後の最後で「今度はもっと強くなった俺が相手してやる」って言える、笑って向える未来を掴むラストこそが、刀ステの「集大成」だったんだろう。

  • その他雑感

・キャスパレのラストに出てくる小烏丸様のラスボス感が5割増しになっていた。
・キャスパレのパパ鶴紅白シンメ二分割画面好きすぎる。
・映画館という快適な空間で冷静にみると、碓井くんの凄さがより一層わかる…毎秒上手い…。
・というか悲伝キャスト豪華すぎて、鯛ちゃんのお芝居が上手すぎて浮く、みたいな現象が全然起きない。平均値が高すぎる。
・長谷部とおはぎの因縁、まさか2年先まで続くとは思わなかったし、刀ステ出演回数がここまで増えるとはおはぎもびっくりだろうよw
・まぐろミュ千秋楽、映画館の音響がいい仕事しまくり。
・割烹着歌仙ちゃんのキュートさ2000点だし、わだっくまの顔の美しさの圧が強い。
・極不動くん、全審神者抱いてくれる。
・円環に囚われたライビュの幕間リピート
鶴丸の真剣必殺、ちくび気になりすぎて全然本筋が頭に入ってこなくなったので責任取ってほしいw
・義輝と会話する三日月が、いつになく自然に普通に感情が出ていて、三日月でも元の主の前ではこんなに人間らしい(刀だけど)表情するんだなぁと。
・みつばみさん、実質極くらいの戦闘力あるので、たぶんセコムいらない
・あとみつばみは顔が全然骨喰じゃないのに、ちゃんと理想の骨喰になるのが凄い。
・最後まで介錯のシーンで全力号泣を見せる三津谷に感心しつつ、「この人明日マリゴの通しなの…?」って思ったらさすがに干からびないか心配になった。この先に、本当に一筋の希望も救いもない作品が待ってるの地獄過ぎない?w
・悲伝の出陣の儀、えぐいくらい悲しいんだけど、それぞれの思いを胸に名乗りをあげるあのシーンが大好きでな…。
・この流れでまんばの口から出る「クソジジイ」の愛おしさと哀しさ
・まんばと長谷場には初期メンの関係性萌えを感じる(根がドルオタ)
・刀解直前の三日月を見つめるパパ上、聖母の微笑みを湛えていて完全にママ上だった。あれは千秋楽ベストショット。
・これだけボッコボコにしてくる演目を2か月やっても軽やかなカテコ挨拶を見せてくれる刀ステほんと好き。
・どんなに巻き巻きのカテコでも、ひろちか様の「またいつぞや始めよう」を聞くまでは終われない刀ステ(最高)。
・そして円環に囚われたライビュの終演後リピート
・まさかの刀ステ終わったのに終わらない事件で、爆笑して幕を閉じた悲伝であった…wライビュスタッフほんとにお疲れさまでしたw

  • そして次の環へ

私が円環構造こねくり回した話(笑)
仮に虚伝の初演軸のループと、再演軸のループがあるとして。別軸のループに移行するには何か特定のイベントが発生することが条件であるとする(同じ軸内でのループ発生条件は三日月の刀解)。その条件のひとつが、「まんばが三日月に勝つこと」であるならば、千穐楽で三日月が顕現した先は、似て非なる別の世界線(雑な言い方をすれば虚伝の三演目)のあの本丸なのかもしれない。ステの途中で極システムやパパ上が実装されて展開が変わっていったように、もしかしたらその新しい軸の円環ではまんばの極が実装済みで、強くなって帰ってきたまんばちゃんが三日月を迎え撃つ回が存在するかもしれない。
ちなみに私の中では、初演のさらにひとつ前から初演軸への移行発生はまんばの破壊、初演軸から再演軸の移行発生は鶴丸の破壊ということになっている(笑)


そしてそうやって繰り返し繰り返しされていく中で、我々おたくが次に導かれるのは、似て非なる三日月とまんばが存在する靖子本丸なのであろう(笑)円盤を買って最速先行に申し込み、チケット戦争をし、初日を迎え千秋楽ライビュを経て新作発表を見届け、円盤のリリイベ争奪戦をして、そして円盤の最速先行を………という円環から抜け出して、おたくたちは東宝の初日舞台挨拶争奪戦に出陣するのであった。
~完~

…いや、初日舞台挨拶の全国中継してくれりゃ、別に戦争しなくて済むんですけどねー(ぬるま湯につかったおたく)。映画版、同じキャストを使う意味をどこに当ててくるのか楽しみです(笑)