風の果て

恋をしただけ それだけのことを

ミュージカル「マリーゴールド」9/2@サンシャイン劇場

マリーゴールド、東京千穐楽おめでとうございました!!今年は無事終わってよかった!wこのまま大阪大楽まで駆け抜けられることを願うばかりです。

神の視点によるライビュも最高に楽しかったのですが、やっぱあの圧巻のすすり泣きと嗚咽の渦により繭期を全身で体感できる現地観劇に勝るものはないですね!終演後、めちゃくちゃ泣いてた隣の人に謝られるという噂のあれを実体験しまして、繭期のおたくとしての経験値がひとつ上がった気がしました(笑)

中通路より前だったので、双眼鏡なしでもギリ表情が見える最高の位置で、超ストレスフリーに観劇できて楽しかった(グランギニョルは1階の最後列だったw)。なので、基本肉眼で全体を見て、暗がりのソフィの表情を確認したいときだけ双眼鏡使ってたんだけど、まーーーーみっちゃん凄かったな…。今回のソフィ好きすぎて、ちょっと今延々と三津谷を褒め称えたい気分。
あと当然だけど歌の圧が凄い。これサンシャインでよかったの??ってくらいのクオリティ。サンシャインであることに意味はめちゃくちゃあったとはいえ、贅沢な使い方だよねぇ。私、カタカナとミュージカルが苦手なはずなのに、TRUMPシリーズはどれだけ登場人物増えてもついていけるし、歌詞もちゃんと聞き取れるしBGMまでくっきり記憶に残るので不思議。よほど相性がいいんでしょうね。あとすえみつ文法は形がしっかり決まっていて綺麗にそこにハメこまれてるから、記憶しやすいのかもしれない。

あ、あと千秋楽のリピーター率の高さ故なのか、物販が嘘みたいにすいてて開場してから行ったのに戯曲が買えました!嬉しい!帰り道めっちゃ重かったけど!!w


以下、ネタバレしかない感想。とりあえず今思ってることを全部書いたので、いつも以上にまとまりなく長い。

  • みっちゃんとめいめい

再演を繰り返し、別キャストで同じ人物を演じたり、同じ名前の違う人がいたり、違う名前だけど同じキャラクターだったり、とにかく誰がどの時点の誰なのか蓋を開けるまで分からないTRUMPシリーズ。
その中で、あえて過去に同じ役を演じたみっちゃんとめいめいがそのまま登場していたことで、2800年前に焼失したクランから、リリウムまで繋がる物語の途中経過地点としてのマリーゴールドに説得力が増し増しになっていた。みっちゃんがかつてのソフィからリリウムのあの惨劇までの間を見事に埋めてくれてるし(これは後述)、恐ろしいほどに少年の姿を保ち続ける三津谷ソフィと、何年経っても打ち上げでお酒が飲めるようにならないめいめいが生み出す、永遠の繭期を生きるダンピールの子どもたちが見事すぎる。あと二人とも身体能力と表現力が高いので、吸血シーンで本当に化け物じみた動きをしていた。単に殺陣が上手いのとはまた違う、身体の使い方の上手さ。私が好きな「踊れる」ってこういう種類の上手さなので、満足感が高い。

  • ソフィとファルス

ライビュのあともちょっと書いたんだけど、今回のソフィ、既に御館様として生きているだけあってベースはファルスに近いんだけど、ちゃんと僕たちのクランにいた頃の顔もするしクランのみんなのことも忘れていなくて。2800年前のクランにいたソフィも、サナトリウムで幸せな夢を見ていた頃のやんちゃなファルスも、あの惨劇に向かう救いようのない残虐さを秘めたファルスも、全部ちゃんと詰まっているのが凄い。し、それを全部表現するみっちゃんが上手すぎて惚れ惚れした。ウルとじゃれ合いながらダリちゃんに会いに行くときのひょうきんで小生意気ながきんちょからスタートして、1枚仮面が剥がれるたびにどんどん美しくなっていくので怖かった。みっちゃん、決して正統派美少年顔ではないんだけど、メイクも照明も全部味方につけて美しさを体現するスキルがめっちゃ高いですよね…。

全部忘れてあの狂った残酷劇の黒幕になってくれたら、もっと楽なのにね。忘れた振りをしているだけで、何かのきかっけでふっとソフィの顔をするから憎み切れないしどうしようもなく可哀そうだし、でもラストの暗闇でにやぁと笑ってる顔はやっぱり鬼畜だしで、2800年の孤独を生きる中でああいう風にならざるを得なかったのだろうと感じられてしまうのが、本当に残酷。ウルごっこ終了から星の轍、バットトリップに至るまでの流れのトリガーが「永遠なんてくそくらえだ」なの、あまりにも辛い。なんで今になって、星の轍を聞きながら、膝を抱えるソフィとあのクランの生徒たちのシルエットを見つめる時間を経験しなきゃならないんだ。

どうしてもソフィに肩入れして見てしまうから、ガーベラが初めて外に出たときのシンメで踊るソフィウルの可愛さとか、処刑台前で町の人たちと戦うシーンでの一瞬の背中合わせ(からのウルを突き飛ばして串刺しにされる不死身のソフィさん)とかでいちいち胸がぎゅっとなる。長い長い時間の中で、瞬きするより一瞬の思い出になっているはずのウルと過ごした日々が、あまりにも大きい。
…というところまで考えて、「いや違うわ、あんな仲良くじゃれあうようなソフィウルどこにもいなかったわ(まがお)」となるので繭期は怖いですね!そう、別にソフィウルはあんなきゃっきゃする人たちじゃなかった!あれ全部ソフィが後付けで生み出したソフィウルだったわ!地獄!!!!

親の愛も知らず、まさに誰からも愛されないダンピールとしてクランにやってきたソフィの拠り所が、いつまでたってもウルだけなの本当業が深い。ガチのシンメ厨が描く悲劇のシンメは怖いなぁ……。

  • 我は守護者なり

申し訳ないことにコリウスさんのこと割と面白枠として見てるんだけど、我守護曲(歌唱力の暴力)の4人を眺めながら、「しれっと同志みたいな顔して混ざってるけど、おまえ赤の他人だからね…?」と改めて思ってしまい、ちょっとニヤニヤしながら見てしまった。ごめん。隣のおねーさん、しぬほど泣いてたのにマジでごめん。
でもほんとーーに関係ないんだよね、コリウスwただの横恋慕だし、ヘンルーダにめっちゃマウントとったのにそのあとの大暴露で世紀の大失恋する羽目になるし、花言葉はかなわぬ恋だし、コリウスさんは今回最強の不憫枠。でも、まるで超関係者みたいな顔で我守護って、結果的にエリカとガーベラを守って死んでいくので、ご本人的にはわりと満足な結果だったのかもしれない…。髑髏城でいうと蘭や夢さん的な…本人の願いは果たされるタイプw

あとアナベルも最終的にガーベラと心通わせた状態で、娘を手にかけることなく永遠の繭期の元へと託して死んでいくので、絶対守れないで御馴染みの我守護枠、今回比較的勝率が高い、かもしれない(その割にリリウムでのマリーゴールドの言動からあの最後の母娘のやり取りが感じられないのはイニシアチブによる操作なのかな。どうなのファルス…)

アナベルとエリカの姉妹、構図が完全にアナ雪だよなぁと思いながら見てたんですが。最終的にヘンルーダの存在よりも姉妹と母娘の関係性の方が強く出ちゃうし、ラスト3人も女性陣だし、なんかまぁ女がメインの物語における男の役に立たなさったらないよね。スペクターも最後ローザの打撃力が強すぎたし、リリウムのTRUMPとは比べ物にならない容赦のなさもそうだし、女は己の欲望に対して加減しないでぶん殴ってくるので恐ろしい。そこが好き。
というわけで、最終章付近に雪月花が待ち構えてるのめっちゃ怖いですね。たぶんコクーンあたりはダリちゃんとゲルハルトみたいな可愛い青春ときめきシーンがラファアンにもあると思ってるんですけど、どう考えても雪月花は1ミリの救いもなく怖い話じゃん。不老不死トリオの中で、一番怖いのリリーでしょ。

  • その他過去作品との関連とか

・ダリデリコによる吸血種の物語を、「出せば売れる!」って言わせるセンス好き。凄いメタw
・繭期少年少女失踪事件の詳細はどのあたりまで描かれていたんだろう。ダミアンストーンの話とかはないだろうけど、スペクターで描かれたくらいの話はのちの世まで伝わっているのかな。庭師の話も伝わってたし。
・ウルごっこ終了前でも星の轍インスト使われてた気がする。ウルの話題のところ。関連する作品の曲引っ張ってきてるんだろうか。
・となると、アナベルが希望の名を娘に授けるシーンのBGMが聞き覚えあったのはグランギニョルのやつ?(円盤での確認ポイント)
アナベルが最後の言葉を託すあたりは「もう泣かないと決めた」(「いつかあなたに手を差し伸べてくれる人が現れる」ですものね…)
・キャメリアがウルごっこ解除後もソフィに対する接し方が変わらないってことは、キャメリアにとってのあの子はずっと「不老不死のソフィ・アンダーソン」なんだろうか。
・ヤン・フラと育ての親とか、血盟警察の人の息子がダンピールに殺された話とか、全部この先どこかで関わってくる気がしてしまう。
・あとホフマンが誰なのかわかってないんだけど、単純に初登場なのか私の勘が悪いだけなのかどっちだ。


カーテンコール、挨拶なしで3回?4回?文字通り割れんばかりの拍手(と共同幻想ユートピア)が鳴り響くサンシャイン、とても良かった。しかし現地で改めて食らうカテコBGMの威力よ…最後の最後まで全然優しくしてくれない(笑)「ありがとうございました」すらないカテコだったけど、あそこから挨拶聴くようなテンションじゃないし、何の合図もなく客がすーっと帰り始めたのが最高でした。去年はダリちゃんのツンデレ芸浴びるまでテコでも動かなかったのにw

明日まともに仕事に行けるか心配なんだけど、とりあえずこの後風呂に入って戯曲を眺めよう。今年はちゃんと繭期に浸れてよかった。