風の果て

恋をしただけ それだけのことを

The Silver Tassie 銀杯 11/10マチネ@世田谷パブリックシアター

千秋楽おめでとうございますー!ということで。

公演2日目に見にいってました、銀杯。
前日の窓口閉まる直前に電話かけてチケット取ったんだけど、まだ余裕でA席最前センターブロックが買えてしまって、発券手数料込でも5000円でおつりがくる金額で、こんな簡単にこんないいものが観れてよいのだろうかと(笑)土曜日だったのでさすがに1階はほぼ埋まってたけど)。せっかくさくっと買えたので、口コミで広がってたくさんの人に見てもらえたらいいなぁと思っていたのに、ちゃんと記事にしないうちに公演が終わってしまった。最後の方はもう少し埋まってたのかな。

矢田ちゃんのお歌が聞きたいなーとふらりと観劇したのですが、すっっっっごくよかった。優馬様にはさすがいいお仕事取ってくる。難しいし疲れるけど、人形含め美術セットが凝ってて素敵だし、「質がいい」という感じの作品。一場から二場、三場から四場の大規模なセット転換が目の前で行われるのにも興奮。お金かかってた。

優馬は、ドリグレやそれいゆみたいな優馬様の優馬様による優馬様のための舞台、みたいなのが抜群に似合う人で、そういう姿を見るのが大好きだったんだけど、今回は作品の中に必要な要素として優馬が存在していて、お芝居のうまさをしっかり味わえたのも新鮮だった。いつもは「顔がいい」に思考の8割持っていかれるからw、3階席から双眼鏡なしで全体をちゃんと見れる環境で堪能できてよかったな。ちなみに3階席から見ても顔はよかった(それはそう)。


傾いたセット、死人のような人形たちによる戦場のシーン、そこから一転してやけにい明るいラストのダンスパーティ。すべてがいびつに歪んでいて、それをみんな知っているけど気づいているけど、それでもそのいびつな世界で生きていく人間のある意味での強さとそこに払われた犠牲の物語。
二幕の人形劇がすごく良かった。不気味でだけどどこか愛着の湧いてしまう表情豊かな人形たちが、戦地の悲惨さや哀しみを際立たせていたし、その中で一人人間の姿を保つ矢田バーニーの美しさが異質で、これが後半どんな意味を持たされるのか必死に考えながら見ていた。あの場面、バーニーと担架の歌の美しさがずば抜けているのだけど、担架のシーンはあの場面にマッチした美しさなのに対して、バーニーは明らかに周りと違うものとしてそこにいるんだよね。(あと毎回思うけど、矢田ちゃんの歌声は神様からの贈り物だなぁぁぁぁ。)

一場終盤の歌のシーン、誰もが陽気にはしゃいでて、でもその裏、その先にあるものにみんな気がついていて、それが絶妙に滲み出てるのよかったなぁ。ずっっっと複雑なんだわ。面白いシーンで笑ってる間も、そこにある現実を忘れさせないから。最後のハリーと母親の会話でその現実が一気に前面に出てくる。
最後にスージージェシーにかける言葉はそこだけ聴くと淡白すぎるのだけど、実際問題ハリーとテディが生きる世界に他の人たちは入れないし、五体満足で砲火から逃げ切った者たちはその者たちの生き方で生きていくしかないんだよな。悪人は誰もいないんだけど、優しすぎる人もいなくて、誰かに対する想いはあるけど自分に対する想いの方がきっと強くて、それこそが人間の生命力だし眩しさでもあるんだよなぁ、とか。あそこでジェシーの手を取ってダンスの輪に戻れる人だから、バーニーは戦場で人の形を失わなかったんだろうか。

あの時代のあの国で、「銀杯」が持っていた意味を事前知識として持っていたらもっと掘り下げられたかな。久しぶりに脳みそフル回転しながら見る素敵な作品でした。世田パブの雰囲気とも合ってたし。